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2007-12-16 Sun 22:02
日本を代表する純文学雑誌(月刊文芸誌)・『新潮』の新年・1月号(12月7日発売)に掲載された本谷有希子さんの待望の最新作、『グ、ア、ム』(200枚)を読んだ。読み終わった後、僕は、作品の内容自体の素晴らしさに対する感慨を超えて本谷有希子という作家の才能の大きさに感動で身震いした。僕は、基本的に本を読まない人間で他の小説と比べる術が無い悲しい現実があり、元々本谷さんの人間性に盲目的に惹かれて作品に触れるようになった者の贔屓目が多分に含まれている可能性を否定できないが、これは勝手に芥川賞級ではないかと何の根拠も無く思う。(あるとすれば、第135回芥川賞候補作:「生きてるだけで、愛」) 毎回本谷さんの作品からは、登場してくる人物の心の叫びが聞こえてくる。今回も、登場人物から発せられる激しく狂おしいまでの生々しい感情を全身で浴びた。 この作品は酷暑と言われた今年の夏、2週間に渡って本谷さんがある部屋で初の"缶詰め"になって書き上げたものだという。本谷さんの東京のうちは、基本一部屋で、衣食住のすべてをその部屋で行うために、書き物をするにあたりガラッと気分を変えたいと言う本谷さんへ担当編集者が”缶詰め”を奨めた。それが決行された場所は、かつて三島由紀夫や村上春樹といった大作家も缶詰めに使用したという由緒正しき家で、お手伝いさん付き。そこは、辛うじてネットは出来るもののテレビは無く、作家が逃げないように外から鍵を掛けられる仕組みになっていると興奮気味に先日出演された「オールナイトニッポン」で本谷さん自身が語っていた。 普通、作家さんの声は読者に中々届いてこないもののような気がするが、定期的にラジオやテレビで包み隠さない本音を打ち明け、書き手の人間像がイメージできる、ある意味身近な存在と感じられるのが本谷さんの魅力の一つだ。 作品の舞台は、父母姉妹の4人家族の住む北陸地方(現在、姉妹は独立)。何処までも気の優しいマイペースな父親と控えめで自己犠牲を全く厭わない母親、そしてその両親に育てられた2人の姉妹による現代に身を置く家族の話。 テレビドラマに出てくるような着飾った家族ではなく、極々一般、普段着、更に言えば俗っぽい家族の姿がコミカルに描かれていく。 受験戦争の波に揉まれ就職氷河期を経験したロストジェネレーションに当たる25歳の長女は、プライドが高く世間に対して常に不満を抱え、大学を出たがバイトで生計を立てている。姉の影で冷静沈着に生きてきた4歳離れた次女は、必然的に現実的な人間になった。そんな二人の間には微妙な空気が流れているというシチュエーション。 人には家族にしか見せない顔があると思う。他人には絶対言わない暴言を吐いてみたり、家の中でだらしない姿を見せたり。それは、甘えや安心感から来るのかもしれない。 傍(はた)から観ていると、一見低次元だと思われるような身内の中だけのオブラートに包まない明け透けなやりとりや、気恥ずかしさから来るぶっきらぼうでぎこちないコミュニケーションをしている家族たち。 しかし、そこから、人の心の中の根底にある最も弱い部分や汚い部分を内包した核心が見えてくる。それは心の基礎部分でありながら、とっても柔らかく傷つきやすい不安定な一面を持っているのでは。だからこそ、直に読み手の心にズシンと伝わってくるものがある。 この作品を読んでいて、僕は思春期のある感情を思い出していた。中学生くらいになってくると男子は、母親と一緒に街を歩きたがらなくなる。もし母親と一緒に居る所を友達なんかに見られたら何と言われるか分からない。自分の弱みを見られたような気がして居たたまれなくなる。それの延長線上なのか、いつからか家族で出かけて外で食事をしたり、夏休みに旅行に行ったりする時、なんだか淋しいような、孤独なような、罪悪感に似た気持ちを覚えるようになった。世間に対する自分達"家族"という小さな一つの世界を外から客観的視点で意識した時に強く現れる独特な感覚。 登場した姉妹の中でも同じような気持ちが何処かにあったような印象を受けた。 何故そんな気持ちになったのか。。 家族という集団は、一番弱い部分を共有しているからかもしれない。それは、言葉を交わさなくても無意識の内に疎通出来ているもの。弱い部分を分かち合っているからこそ、その中にいると孤独感が生まれる。他人には分からない理解し得ないものがあるという不安に苛まれる。頼れるのは家族しかいない、と。彼らを守れるのは自分しかいない、と。 選ぶことの出来ない、そして、解消し得ない唯一無二な家族。改めて考えてみると家族というのは不思議な関係だと思う。そこに漂うあの”そこはかとない切なさ”や”表面的な嫌悪”の本当の大本、裏返しにあるのは、相手を思いやる痛々しいまでの愛情ではないだろうか。避けようと思ってもどうしようもなく溢れてくる無償の愛や案ずる気持ち。そこからは誰も逃れられない。これは幸福と言うべきか、不幸と言うべきか。 その愛を持て余し、どう取り扱っていいか分からず、どう表現していいか分からず不器用に苦悩する。 本谷さんの表現する"家族内に存在する泥臭くて根源的な愛"に涙が込み上げてきた。 此処で出会った登場人物たちが、強烈な個性を持っているが故に、頭の中にある想像や色んな記憶、概念と直結し、小説世界の中でリアルな人格を持って生き生きと今も息衝いている。 ■新潮社・「新潮」公式サイト ■トップランナー・『本谷有希子』〜書き起こし編〜 (このブログ内) |
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2007-12-14 Fri 20:06
以前このブログでも紹介させて頂いた"読む、聴く〜もうひとつの「情熱大陸」"を謳う『情熱大陸+P』。このサイトで毎月、角田光代さんが短編小説を連載をされていて、今月は"ある小さな製菓店の閉店間際に生まれた心温まるクリスマス・イヴ・ストーリー"がアップされています。この時期にピッタリであり、とっても気に入ったのでリンクを張っておきます。 ■角田光代作:「12月24日の宮本製菓店」 (『情熱大陸+P』サイト内) ※情熱大陸ナレーター・窪田等さんによる朗読の音声ファイルあり(お薦め) ワイワイ過ごすクリスマスもいいですが、僕はこの物語の中にあるような静かな空気が漂うクリスマスや、期せずして味わえたささやかなクリスマスの方が、格別に趣があって好きだったりします。 毎年クリスマスは訪れ、人生の中で色んなクリスマスがあると思いますが、苦しい時期や所用に忙殺されている時期、心に一抹の寂しさを抱えている時期に通り過ぎていったクリスマスは、意外に記憶に残ったりするものですよね。^^ 偶然つけていたラジオからクリスマスソングが流れてくると、ちょっと嬉しい今日この頃です。 【BGM】 ケツメイシ:「冬物語」 P.S ”桜”と”クリスマス”に関する曲は毎年のように数多くリリースされますが、何年にも渡ってラジオにリクエストが届き続ける定番曲が生まれることは稀有です。そんな中、近年”桜”に関しては、ケツメイシによる傑作・「さくら」がその座を射止めたと感じています。一方、”クリスマス”ソングに於いては、B'zの「いつかのメリークリスマス」のような名曲が暫く出ていないことを踏まえると、ケツメイシ・「さくら」の”雪”バージョンだと考えられる「冬物語」を、クリスマスの唄にしていたらどんな感じになっていたのかなと想像したくなりました。とは言いつつも、この先、冬、雪が降れば必ず思い出す曲になりそうです。^^ |
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2007-12-08 Sat 20:10
![]() ![]() 青空の無い月から見る宇宙。 そこに浮かぶポケットに入りそうな青い地球。 見えないけど見えている自分の現在地。 認識しているけど認識していない現実世界の姿。 僕は今日も日常がこびりついた夕暮れの渋滞に身を沈めてる。 ”アノ場所トコノ場所ヲヒトツニ結ブ限リナイ想像力ガホシイ。” テールランプとよく馴染む光を湛えた空に視線を飛ばす。 唯一確かなこと、ボクハココニイル。 【BGM】 ウルフルズ:「たしかなこと」 P.S 僕は、「木を見て森を見ず」とよく人から言われます。小さいことに囚われてばかり。。時代が流れ、いつか「地面を見て地球を見ず」となれば、人の視点は変わっていくのかな。 ■月周回衛星「かぐや(SELENE)」公式サイト ■「かぐや」画像ギャラリー(「かぐや」が撮影した地球の映像も見られます。) |
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| アドリア海の4.A.M. |
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