夜明ケ前。外ハマダ暗イ。思イハ未来ヘト焦ル。思イ出ハ過去ヲ膨ラマス。ダケド。ココニハ今シカナイ。今シカナイ。
ラジオ的テレビ番組
2007-10-30 Tue 20:15
ラジオが好きな僕にとって、ラジオのスタイルを採った構成や内容をテレビで放送する番組には目がありません。

過去にあったもので記憶しているのは、『松任谷由実のオ−ルナイトニッポンTV』(2005年12月25日・2006年12月26日、フジテレビ)と『さだまさし生放送シリーズ』(現在も放送中、NHK)。

何がいいって基本的に一人のパーソナリティを中心に番組が進行され、じっくりおしゃべりを聴けること。現在のバラエティで基本的に視聴者と一対一で出演者が観ている人に向かって話しかける番組は少ないのではないかと思います。ガチャガチャしていなく力を抜いて心穏やかに観ることが出来ます。

松任谷さんの番組は年末クリスマス近くに放送されていましたし、さだまさしさんの方は、2006年1月1日、0:25〜2:25に第1回が放送されたということもあって、こういう番組に対して特別な時間、非日常の時間をみんなで共有しているという感覚が刷り込まれてしまっています。(^^)番組スタイルも視聴者とパーソナリティが繋がっているというラジオの要素が大きく作用し、同じ時間を共有しているという感覚を強めているのではないでしょうか。「今」そして「その時代」を感じ取れる番組。

唐突ですが、僕はクリスマスや年末の雰囲気が大好きです。街は人で賑わい、年の瀬の慌しさが溢れている。しかし、その直ぐ傍には冬のピンと張り詰めた空気の中、神聖で厳かな時間が根底に流れている。喧騒と静寂の共存。ワクワク感と少しの切なさや寂しさ。そんな時、人は時間を他の人と共有したくなるのかもしれません。
各地のクリスマスのイルミネーションや日本の紅白歌合戦、ニューヨークでのタイムズスクエアのカウントダウン。
それとは少し違った形でのラジオ的テレビ番組。

今回の「さだまさし生放送シリーズ」は、10月28日、0:05から「名古屋から生放送! 秋の夜長もさだまさし」と題して放送されました。
季節の節目ごとに放送されるこのシリーズ、今年はこれで5回目となり、更に年内最後。次回はもう来年の元旦ということです。

基本的に視聴者からの葉書を紹介しながら、さださんが今の世相や思い出について語ったり、最後一曲歌を披露したり、なんともゆったりと自由な雰囲気で番組は進行していきます。今回は、鶴瓶さんから突然電話がかかってくるハプニングがあったり。

さすが長年ラジオをやっておられるさださんだけあって、送られてくる葉書はどれも秀逸なものばかり。その時々の季節を織り込んだものだったり、ラジオのネタ葉書のような笑いを誘うものだったり、さださんへの近況報告だったり。
そこにさださんのユーモアや気の利いたコメントが挿まれる。

徹底的に予算を抑え手作り感満載ということもあり、今のバラエティ番組が失いつつある風情や情緒、心温まるゆるりとした時間の流れがそこにはある気がします。

こんな番組がもっとあればいいなぁと思うのですが(これは僕の個人的な好みの問題かもしれませんね。^^;)、テンポの速い今のテレビ業界を支配する視聴率第一主義の大波の中では中々難しいのが現状なのかなと考えたりする今日この頃です。

CMの無いNHKは、どちらかと言うと自分達の思う理想の番組を作りやすい環境にあり、益々果たす役割は大きくなってきている気がします。爆笑問題をMCに起用した「爆笑問題のニッポンの教養」や長期ロケで今の中国と旅に付き物の様々な”出会い”、そこに暮らす人々の温かさを体感できる「関口知宏の中国鉄道大紀行」や話題の歌手のコンサートの模様を放送する番組等など、僭越ながら最近NHKに好感を持っています。
これからも「さだまさし生放送シリーズ」に代表される民放で出来ないような実験的要素と流行や視聴率に左右されない堅実さを含んだ番組作りで挑戦していって欲しいです。

『さだまさし生放送シリーズ』・公式サイト

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映画・『孔雀-我が家の風景-』
2007-10-28 Sun 21:15
昨日、NHK-BS2で放送された『孔雀−我が家の風景−』(2005/中国)をビデオに撮って観ました。

【解説】
 文化大革命後の中国を舞台に、地方都市に暮らすある一家族の姿を見つめ、思春期の3人の子どもたちがそれぞれに辿るほろ苦い皮肉な人生の行方を優しいタッチで綴る感動ドラマ。監督は、「紅いコーリャン」や「さらば、わが愛/覇王別姫」をはじめ数々の名作で撮影を手がけ、これが記念すべき監督デビューとなるクー・チャンウェイ。ベルリン国際映画祭で銀熊審査員特別賞を受賞。主演は中国期待の新星、チャン・チンチュー。
 11年続いた文化大革命が終わりを迎えた1977年。カオ一家には3人の姉弟がいた。自由に憧れる型破りな長女のウェイホンは、ある日、空から降ってきた落下傘部隊の将校に恋心を抱き、入隊を志願する。一方、知的障害を抱えた気のいい長男ウェイクオはイジメられても明るさを失わない。家族にとっては大きな負担だったが両親は彼の将来に何よりも心を砕いていた。そして、そんな兄への複雑な感情を募らせていく次男のウェイチャンは、ついに耐えきれずに町を飛び出してしまうのだが…。

中国の田舎町を舞台に、こわれかけ、離れてはまた寄り添いながら暮らしていくある一つの家族の愛の年代記。

〜allcinema ONLINEより〜


当たり前にある家族の風景、家族の変遷を淡々と当たり前に描いた映画。

普通の人が生きていれば苦しみや挫折、嬉しい出来事、悲しみを抑えられない時、ゆったりした時間など様々な瞬間はあるかもしれないが、100年単位の尺で見れば、それらの浮き沈みはほんの小さなもので、記録されることもなく時の経過と共に消え去ってゆく。結局の所、家族というものを形成し子供が生まれ、その子供が独り立ちして新たな家族を作る。そして子供が出来る。人はそういう風にして過去から未来へ連綿と繋がってゆく大きな歯車のひとつでしかない。唯それだけのこと。
単純だけどそれが生き物の宿命。誰も逆らうことは出来ない。この映画を観てその”人の営み”がいかに尊い事なのか、純粋な事なのか、うっすら見えた気がした。無常の虚無感を心のどこかに抱えながらも必死に生きている”人”の人生に対して、”幸せ”だとか、”喜び”だといった概念を超えた重苦しい愛おしさに似た感覚があった。

人は何故生きる?、生きている意味とは?と考えてしまうことがあるが、別に生きていく上で派生する二次的意味なんて無い、そんなことは所詮取るに足らないこと、生きている事そのものにこそ意味があるのではないかと静かにそして優しく問い掛けてくる。

固定カメラによるワンシーンの長さだったり、視聴者に不親切なくらい不要な説明を入れない展開だったり、客観的に物語を捉えることにより全く飾らない現実の世界が画面の中にあった。

ここで笑わせてとか、ここで泣かせるとか、創り手の意図が気持ちいいくらい出てこなく、観ている者に完全に委ねられた映画で、すんなり物語が心に染み入ってくる。芥川賞作家である河野多惠子さんが、ディテールにこそ人生の喜びや本質は潜んでいるとある番組で仰っていたが、この映画はまさに大きな命題や主張などによって掻き乱されることなく、ちょっとした事で吹き飛んで行ってしまいそうな人の仕草、心の動き、静寂の間などのディテールに宿る普遍的な人生の趣を浮かび上がらせている。

やがて映画が終わりエンドロールが画面に流れ現実に引き戻された時、フワッと包み込まれるような幸福感が舞い降りてきた。生きている。。
普通は映画の中に作られた架空の世界から現実に戻ってくる流れなのに、映画の中で感じていた現実から実際の現実にという流れが少し真新しい感覚。

小学校の時、たまに講堂で開かれていた映画鑑賞会。そこでは小学生に見せるという配慮がなされ結構真面目なテーマを扱ったものが多かったように記憶している。過度な脚色の無い現実を重く地味に描いたもの。ちょっと心が締め付けられるような緊張感を伴った鑑賞時間が終わり、それまで閉じられていたカーテンが一斉に開くと講堂の中に午後の日差しが降り注いでくる。外のグラウンドや校舎がキラキラと白く輝いて、こんなにも世界は光に満ちていたのか、こんなにも開放される心地よい瞬間があるのかと実感する。そして、これは夢ではなく紛れもない現実の世界だと。

その時に味わった気持ちを思い出していた。カーテンが開けられパーッと目の前の視界が開ける。当たり前になっていて見えていない物がある。映画の中に痛いほどの”現実”を見る事によって今いる現実をより強く実感し、今まで以上に周りの景色が新鮮で鮮やかに見えてくる時がある。

P.S 路地裏で食卓を囲む家族とその横でやかんから人知れず立ちのぼる白い湯気のコントラストが印象的で今も心に残る。

「孔雀」・公式サイト

孔雀 我が家の風景 孔雀 我が家の風景
チャン・チンチュー、ファン・リー、ル (2007/07/27)
アミューズソフトエンタテインメント

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ヘッドホン
2007-10-14 Sun 22:43
ヘッドホンを初めて購入したのは、壁が薄くて音楽を大きい音で聴けない環境に住んでいたのがキッカケでした。

家電量販店で価格が2万円位のヘッドホンを試聴した時の衝撃は今でも忘れられません。
クリアーな音質といい、左右がはっきり分かれているので音が立体的に聞こえる事と、一つ一つの楽器が引き立ち音楽の構造がくっきり見えてくる事による奥行を持った臨場感といい、今まで安いラジカセのスピーカーでしか聴いたことのなかった自分としては、同じ楽曲でも全く違った曲に聞こえ、メロディーにプラスしてサウンドで感動の具合が飛躍的に増すことを実感する体験をしました。

それ以来、音楽にどっぷり浸りたい時や、特にお気に入りの曲を聴く時は、ヘッドホンを使っています。
一回寝そべって目を瞑ってglobeの曲を聴いていた時、曲に入り込みすぎたのか体の感覚を失い意識だけが浮遊しているような不思議な状態になりました。バックで重低音の繰り返しがありその上に流れる大好きなメロディーによりトランス状態になっていたりして。(トランスがどういうものか良く分かっていませんが。^^;)
それくらいヘッドホンは、音に陶酔させる力があると言えるのかもしれません。

引越しをした時に、残念ながら初めて買ったヘッドホンは行方不明になり、今使っているのはオーディオテクニカ製の2代目なんですが、もう4年くらい使っていてふと見ると耳当ての部分の皮がボロボロに朽ち果てているのに最近気付きました。

p071014

すると数日前、宇多田ヒカルさんの日記にも自分と全く同じような状態になった可愛そうなヘッドホンの写真が。

宇多田ヒカル日記・ヘッドホンの記事

この偶然がちょっと嬉しかったので記してみました。数年使い込むとこうなる運命なんでしょうかね。^^
その宇多田さんの日記ではタイトルが、"愛着"になっていました。宇多田さんの音楽製作現場で本格的に使われているヘッドホンとそのことにまつわる愛着とはレベルが全く違いますが、僕も、音の専門家によって長年研究され技術の粋を集めて作られたというイメージのあるヘッドホンは、使用していて満足度が大きく、有意義な時間を提供してくれるため愛着が湧いています。

宇多田さんは、耳当て部分を張り替えてもらっていましたが、メーカーに言えば張り替えてくれるのかな!?

最近は、ヘッドホンの音に慣れてしまい初めの頃のような感動が薄れてきて、少し淋しい今日この頃です。

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STING・『Fields of Gold』
2007-10-08 Mon 21:17


太陽の光が、部屋に差し込んでくる。

白いレースのカーテンが揺らめき、窓からふんわりと秋の匂いを風が運んでくる。

世界が秋の空気に包まれる頃、自分の心境とシンクロするのがスティングの『Fields of Gold』。

この曲をオレンジ色の秋の光りの中で聴くと無性に心を揺さぶられ、そこはかとなく心の底から沸き上がってくる感動を禁じ得ません。

まるで麦畑の上を軽やかに吹き抜ける秋風に乗って何処までも何処までも遠くヘ行ける気がしてきます。

どちらかというと未来ではなくもう二度と戻れない過去に向かって翼を広げ飛んでいく感じです。

そして思い出されるのは不思議と何気ない秋の光景ばかり。

夜は冷え込む大学祭中日。日は暮れ辺りは薄暗くなり、各バザーのテントには明かりが灯される。

学生たちは一日の売れ残りを売り切ろうと客引きに余念がない。

そんな中、地べたに座り弾き語りをしている学生。

気のおけない仲間と、喧騒の中で優しく響くメロディーに耳を傾けていた。

中学校のグランド。

雲ひとつない澄み渡った夕焼けの空。

キャッチボールの途中、力いっぱい天高く投げたボール。

行方を追って見上げると、視界にあるのは心細くなるほど広大な空間だけ。

一瞬自分の位置を失い、まるで宙に浮いて空を見下ろしているよう。

どんどんボールは小さくなり、そのまま空に吸い込まれていきそうな気がした。

小学校低学年、稲刈りの手伝いで田んぼの真ん中。

藁の匂いや温かさ。

藁の上に寝そべった時に見た秋の突き抜けた空と肌で感じたそよ風。

全身の感覚で秋を受け止めていたあの頃。

いや、その時は気にも留めていなかったのかもしれない。

しかし、今思い返すと、その一瞬一瞬が秋という感傷的で絵画的なフィルムでコーティングされている。

もしかしたら幻かもしれない”幼い頃に縁側で見た夕日”のような甘く切ない色のフィルム。

当時は目の前の事しか見えていなかったけれど、常に傍にあって無意識に感じ取っていた季節ごとに変わる風や空の表情、植物の彩りなど、それらはきちんと思い出やその時の感情と強く結びついて心の中に仕舞われている。

大切な、その場に流れていた”空気”の記憶。

それを深遠でゆったりと漂うメロディーとスティングの透き通る歌声によって呼び覚ましてくれるのが、この『Fields of Gold』なのです。



P.S 通常、カバーはオリジナルを超えることが困難な中、オリジナルを上回る完成度だと評されている33歳で他界した女性シンガー”Eva Cassidy”の『Fields of Gold』。




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『フラガール』
2007-10-07 Sun 23:07
hula僕の場合は、観た映画を好きになるかどうかは、どれだけ主人公に感情移入できるか、そのキャラクター自身がどれだけ自分にとって魅力的であるか、という部分が大きく影響している気がする。

そういう意味で蒼井優さんは、演じられる役柄を見ていると性別は違えど"あんな風に生きてみたい"と思わせてくれる不思議な力を持った女優だ。
『花とアリス』(岩井俊二監督)は、綿密に練られたシナリオや演出、主演2人の好演などによりコメディ映画の傑作だと勝手に思っているのだけれど、蒼井優さん演じるアリスの一挙手一投足が僕のツボにハマッて笑いを誘い、飄々(ひょうひょう)とした人物像に惹かれた。
今回も、紀美子(蒼井優)の親友・早苗が北海道に行かなければならなくなった時、「じゃぁ、私もやめる」とそっと優しさを表現できる所や先生に対して直ぐには心を開かなかったり、先生のダンスに憧れ、大切な夢が出来たけれど表にはあまり出さない所など、不器用だけれど内側には深い考えや強い意思が感じられるキャラクターが魅力的で、蒼井さんが演じることで一点の曇りなく透明感を持ってそれが伝わってきた。(歌手のYUIさんにも同じように感じるところがある。)

更に、今回は、もんぺを履いた何処にでも居そうな普通の田舎娘から一転、フラの衣装を身にまとった時に放つ美しさのギャップが凄くて、これぞ女優の成せる業だと感じた。

蒼井優演じる紀美子の周りで、小百合(しずちゃん)のお父さんが亡くなったり、親友・早苗のお父さんが炭鉱会社から解雇され、その家族が北海道に行ってしまったり、色々大きな変化が起こる。そして、いつも一歩後ろで、それらの現実に向き合い静かにそしてひたむきに夢に向かって進もうとする紀美子がいた。
町の人や家族、友達、仲間、先生の想いが実に丁寧に描かれていて、それが自然と踊りを練習する紀美子の背後に見えてくるような演出は見事だと思う。みんなの想いというのがさり気なくストーリーの中に散りばめられているので、こちらは、無意識に、自由にそれらに考えを巡らせることが出来、紀美子がどんな気持ちで夢に生きているのか想像したくなる。

そして、この映画のクライマックスで、それまでみんなの一歩後ろにいた紀美子がステージのセンターに立ち、渾身のダンスを披露することで胸に秘めた熱き想い、そしてみんなの希望を全身で表現するのは圧巻。これまでのどのシーンも全く無駄がなく、すべてこのラストのダンスに繋がっていったのが観ていて気持ちよかった。

ただ、最後のダンスにて集まった観衆が異常に盛り上がり、随所随所に大きな歓声が巻き起こっていたが、これまでフラダンスという文化がなく見たことが無かった昭和40年代の人々が、あんなに心をオープンにして現代のコンサートのように盛り上がるだろうかという疑問が湧いてしまった。すると観衆が盛り上がれば盛り上がるほど、現実味が感じられなく作られたもののような気がしてきて、気持ちが入っていけなくなった。ダンスはとっても良かったけれど予想していたよりは映画の最高潮で感動できなかった・・・。
僕の住んでるのは田舎なのですが、地元の祭りなどに歌手の方が来て歌っても、恥ずかしさや自意識が勝って、気持ちはあるのにどうやって盛り上がっていいのか分からないような空気が全体としてあるので、常磐ハワイアンセンターでは当時、もしかしたらあんな感じだったのかもしれないが僕の中では嘘っぽく見えてしまった。

「情熱大陸」で紹介された映画のラストダンスの一場面を見た時、蒼井優さんのこのシーンにかける並々ならぬ想いが伝わってきて心動かされた身として、その点だけが本当に残念で仕方ない。

全体的な印象として、この映画は本当にバランスの取れた映画だなぁと感じた。

一つに、自分ではどうしようもない厳しく立ちはだかる現実と、自分で切り開いていくことが出来る未来。その両方が入り混じって描かれていていたこと。その中では、登場人物達のささやかな希望や思いやりが一際輝いて、どんな時も失ってはいけない物として浮き上がって見える。奇麗ごとではなく実感としてこの純粋な想いが集まると大きな力となり、何かを変えることが出来るんだと思えた。

二つ目に、紀美子の兄(豊川悦司)が借金取りを追い返すために橋の上で振り上げた"つるはし"の頭が吹っ飛んでいったような良い意味で振り切れた部分と、言葉なくとも心が通うような抑えて見せる部分が良い具合に織り込まれていた気がした。
先生(松雪泰子)が銭湯に行って早苗の親父さんに飛び掛るシーンや、出発しかけた列車を止めるシーンは、視聴者の期待に十分に応えてくれている所だし、先生が列車で去ろうとした時、生徒達が教わったフラのフリで気持ちを伝えようとしたり、娘の踊っている姿を稽古場で初めて目の当たりにした紀美子のお母さん(富司純子)が、黙って持ってきた小包を置いて去っていくシーンなどは、グッと涙を誘う。

このバランスの良さが、見終わった後の爽快感、満足感に繋がったのではないか。

(映画全体を通して特に大きな役割を果たすダンスの先生を演じた松雪泰子さんは、今回改めて凄い実力の持ち主だと納得させられた。松雪さんの演技によってこの作品が何倍もの力を得ている気がした。)

恋愛が全く描かれない映画は珍しいのかもしれないが、これぞ"映画は、総合エンターテイメントだ"ということを体現している作品、という印象を持った。

P.S 映画が始ってからずっと、常磐ハワイアンセンターが、近年経営が行き詰っている地方のテーマパークのように5年くらいで斜陽を向かえていたらショックだなぁと心配していたのですが、映画の最後に、そこは現在もなお健在だというテロップが出てホッとしました。


つまり、この記事で何を伝えたかったかというと蒼井優さんが、WEB「ダ・ヴィンチ」にて連載企画を持っているのだけれど、昨年の夏ごろから更新が途絶えていたのがつい最近再開されたということでした。チャンチャン。

蒼井優・連載企画『TYPEWRITER』

駄文を最後まで読んで頂き有難うございました。
終始涙が溢れ感動したのに、こんな感想しか書けない自分に喝ですよホント・・・。(^^;)

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「blog88」の悲劇
2007-10-02 Tue 20:22
このブログを開設した時、サーバー番号がゾロ目の「88」だったので末広がりで縁起が良いなぁと喜んだのが運の尽き。
このサーバーは、どうやらFC2ブログにとって鬼門のようです。

記事がブログ管理側の機器のトラブルで消えてしまうという話は、今まで何処かで聞いたことはありましたが、実際に自分の身に降りかかってこようとは夢にも思っていませんでした。

9月29日、16時頃からこのブログへのアクセス、管理画面へのアクセスが断続的に出来ない状態が発生。その時ちょうどハロウィン・テンプレートへの変更作業中。

17時頃、一時的に管理画面へアクセス出来たのでテンプレートのプレビューボタンを押すと何故か記事が一切表示されない。これはおかしい・・・。急に嫌な予感がして心臓を捕まれたようにキュッと身が縮こまる思いをしました。

急いで「過去の記事の管理」画面を開くと、予感が的中。見事に過去の記事が一切消滅していた。

その後全く管理画面へはアクセスできない状態に。

まさかこのまますべての記事が消えて無くなる事はないよなぁ・・・という楽観的な気持ちと最悪の事態が頭をよぎる。

18時30分から、毎回楽しみにしている「オールスター感謝祭」がスタート。

本来ならウキウキでクイズにデータ放送で参加している予定だったのに、ブログの事が心配で心此処に在らずといった状態。集中できず、結果は、

・52問中26問正解
・山分けポイント:3847円

と全く振るわず。(^^;)しかも最後、操作ミスでタレントさん達の中での自分の順位取得に失敗。

解答者順位一覧表

番組が終わった頃には一応ブログのシステム障害の復旧が終わったみたいで、管理画面が開けた。

番組の合間を縫って「FC2ブログ・ユーザーフォーラム」・不具合報告掲示板を覗いていたのですが、そこには次々と記事が消えたという報告とそれに対するユーザーの悲痛な叫びが書き込まれ続けていたので、自分のブログの状態確認にはかなり勇気が要った。

で、、被害状況は、最近アップした記事が2つ消えていました。しかし、何故か記事本体は消えているはずなのにブログトップページにはその記事2つが奇跡的に残っていたので、慌ててコピーしてなんとか事なきを得ました。

最新障害情報・メンテナンス情報ブログによると

【障害の症状】
先日、blog88サーバーのハードウェアに障害があり
バックアップからの復旧を試みましたが、9月12日以降のデータが
復旧できないお客様がいらっしゃいました。誠に申し訳ございませんでした。

【障害の起きていた期間】
9/29〜10/1

【障害の発生した範囲】
blog88サーバー
9月12日以降の記事データ(コメント、トラックバックは保存されています)

【障害の原因】
blog88サーバーのハードウェアに生じた障害のため


とのこと。(以前にも"blog88サーバー"では同じような障害があったんです。)

このブログはお蔭様で実質被害はありませんでしたが、多くの記事を失った方の心中お察しいたします。Googleのキャッシュ情報などから完全復旧できることを願っております。

たかがブログ、されどブログ。折角書いた記事、それに対して頂いたコメントなどが消えてしまうことがこれほど心乱れるものかと今回疑似体験をして痛感しました。
日頃から、ブログについて考える時、キーワードとして「同時代性」、「気軽」、「共有」、「共感」という言葉が浮かんできます。自己満足としてブログを書いていると思おうとしても、やはり心の何処かに”これを読んで下さった誰か一人でも共感してくれたらいいなぁ”という微かな願いがあるのは否定できません。気持ち、そして時には情報の共有がブログ上に存在し、気が付かないうちに蓄積されていて、それが消えてしまうことへの喪失感が心を痛める大きな要因のような気がします。(こんなショボショボブログの管理人が何言ってんだって感じですが。^^;)実際今回の一件で、多くの方がコメントの消滅や他のサイトからのリンク切れといった”他のブロガーさんとの繋がり”の部分を一番に心配されていました。

僕は、以前「バックアップ取ろうよキャンペーン」の記事(一読の価値あり)を読んでから、ちょくちょくFC2ブログのデータバックアップ機能を使ってバックアップを取るようになりました。とは言っても記事をアップする度にというわけにもいかないので限界はあります。
バックアップデータの中には、コメントやトラックバック情報も含まれているようなので、いざという時のためにバックアップを出来るだけこまめに取りたいものですね。

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